ミリネblog
電話で長話するのは苦手です^^;
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金賢姫元工作員からの手紙 “厚遇”心の負担に
【ソウル=黒田勝弘】先ごろ日本政府の招きで日本を訪れ、横田めぐみさんの両親をはじめ拉致被害者家族らを激励した大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元北朝鮮工作員(48)が、訪日から1カ月を機に産経新聞ソウル支局に手紙を寄せ、日本訪問の感想を伝えてきた。
手紙は滞在中のことを振り返り、日本の関係者に感謝の気持ちを示すとともに、日本での“厚遇”について「心の負担になったし、本当に申し訳なく思っております」としている。要約は次の通り。
◇
私が1990年5月、日本人拉致問題を公式に提起して以来、ちょうど20年後に拉致被害者の国を訪れることができました。長い年月が過ぎましたが、限りない苦痛を受けている方々に会えたことに私は感謝のお祈りをささげました。
7月20日未明、私を乗せた飛行機は(韓国の)仁川空港を出発し、2時間半ほど後に暗闇の中で羽田空港に無事着陸しました。
私は眼下に灯(あか)りが点滅する東京の夜景を見下ろしながら、胸にこみ上げるものがありました。ああ、ここが(拉致被害者の)田口八重子さんが暮らし、その家族がいる、そして彼女があれほど帰りたがっていた故郷、東京なんだなあと。
私のように彼女も、飛行機で平壌空港を出発し東京に帰ってくる姿を思い浮かべました。その日が必ず来ることを信じています。
私の生涯にとって、今回の初めての日本訪問は歴史的な出来事でした。私は北朝鮮では大学で日本語を専攻し、工作員に指名され、田口八重子さんと一緒に暮らしながら日本の言葉や文化を学びました。
その後、日本人名義の偽造旅券を持ち工作員活動をしましたが、日本には一度も入国したことがありませんでした。そのため、いつの日か日本に行ってみたいと思ってきました。その機会が皮肉にも“合法的”な身分で、しかも北朝鮮ではなく日韓両国政府によって実現したのです。
入国手続きを終え、厳重な警戒の中で到着したのは東京から遠く離れた軽井沢の別荘でした。取材陣のものすごい取材競争から、日本で拉致問題が国民の大きな関心事になっていることを実感しました。
韓国人の拉致被害者や戦争捕虜が約1千人にもなる韓国の立場からみて、私を招いた日本政府がうらやましく感じられました。そして取材熱気に私は緊張し、気が重くもなったのです。
◇
軽井沢の別荘での最初の公式行事は、招請していただいた中井洽(ひろし)国家公安委員長・拉致問題担当相との面談で始まりました。彼からは拉致問題の全般的な現状について意見をうかがいました。
夕刻には田口八重子さんの兄・飯塚繁雄さんら家族と会い、昨年の釜山以来の再会を喜び合いました。翌日の昼食には息子の耕一郎さんに、なすび炒めと牛肉のプルコギを作ってあげました。私は彼に「お母さんが戻ってくると、もっと上手に作ってくださいますよ」と言いました。
本当に楽しいひと時でした。田口八重子さんもこのことを知ればとても喜ぶだろうと思いました。
2日目の夕刻には横田めぐみさんの家族と会いました。私にとっては歴史的な瞬間でした。
私が「めぐみさんが来なければならないのに、私が来てしまってすみません」と申し上げたところ、お母さんの早紀江さんは娘に対するように私を温かく迎えてくださいました。私は北朝鮮でめぐみさんに会った状況などをご両親に詳しく話しました。
早紀江さんは娘の子供のころの様子をいろいろ話され、「娘は数奇な運命をたどったと思っています。あなたが悲劇的な運命に耐え、けなげに生きて日本を訪問したように、娘も北朝鮮であらゆる苦難に耐え、しっかり生きて祖国に戻り自分の前に現れることを願っています。誰が何と言おうと娘は生きていると信じています」とそのつらい心情を語られました。
私は早紀江さんに「そうした奇跡が起きますようお祈りいたします」とお話ししました。
◇
次の日は場所を東京に移し、拉致被害者の家族たちと面談しました。すでに写真で知っていたため初めてという感じはしませんでした。拉致家族の写真を手にそれぞれ経緯を語られる方々に、私は期待に沿えるようなことをお話しできず申し訳ない思いでした。
多くの方々がお年を召しておられ、いっそうつらい思いでした。数十年もの長い間、やるせない気持ちで待ち続ける家族の苦痛を思い、涙が流れました。私は「北当局は死亡したというけれど、北のどこかで必ず生きています」と語り、皆さんに慰労と勇気を与えようと努めました。
日本政府がヘリコプター遊覧などあまりに私を厚遇しすぎではないか、という批判的な見方があったと聞いています。資格のない私への厚遇は心の負担になったし、本当に申し訳なく思っております。
◇
軽井沢からヘリコプターで東京に移動する際、上空から下を見ました。限りなく広がる緑の山野、海を抱いた美しい東京…。田口八重子さんや横田めぐみさんたちがあれほど見たがり、懐かしがっていた祖国の大地でした。彼女たちもいつかは飛行機で帰還し、あの山野や都市をきっと見下ろすことになるでしょう。
彼女たちを救出するため努力を続ける政府や家族、そしてその背後に、祖国の山河が変わらない姿で静かに彼女たちを待っているのだということが分かりました。だから彼女たちは決して寂しくはないのだと。
今回の日本政府、国民、拉致被害者家族の私に対するこの上ない歓迎には重ねて感謝申し上げます。とくに招請していただいた中井国家公安委員長には心から感謝いたします。
ただ私が一部で期待された“新しい情報”を提供できず失望させてしまったことは、心苦しい限りです。拉致被害者家族の心的苦痛が少しでもやわらぎ、拉致被害者が1日も早く帰ってこられることを切に望むだけです。
2010年8月下旬 金賢姫
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/north_korea_kidnap/
人はお母さんの羊水の中で育ってきたから、水の中ってのは
本能的に心地よさを覚えるのでしょうか、。
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手紙は滞在中のことを振り返り、日本の関係者に感謝の気持ちを示すとともに、日本での“厚遇”について「心の負担になったし、本当に申し訳なく思っております」としている。要約は次の通り。
◇
私が1990年5月、日本人拉致問題を公式に提起して以来、ちょうど20年後に拉致被害者の国を訪れることができました。長い年月が過ぎましたが、限りない苦痛を受けている方々に会えたことに私は感謝のお祈りをささげました。
7月20日未明、私を乗せた飛行機は(韓国の)仁川空港を出発し、2時間半ほど後に暗闇の中で羽田空港に無事着陸しました。
私は眼下に灯(あか)りが点滅する東京の夜景を見下ろしながら、胸にこみ上げるものがありました。ああ、ここが(拉致被害者の)田口八重子さんが暮らし、その家族がいる、そして彼女があれほど帰りたがっていた故郷、東京なんだなあと。
私のように彼女も、飛行機で平壌空港を出発し東京に帰ってくる姿を思い浮かべました。その日が必ず来ることを信じています。
私の生涯にとって、今回の初めての日本訪問は歴史的な出来事でした。私は北朝鮮では大学で日本語を専攻し、工作員に指名され、田口八重子さんと一緒に暮らしながら日本の言葉や文化を学びました。
その後、日本人名義の偽造旅券を持ち工作員活動をしましたが、日本には一度も入国したことがありませんでした。そのため、いつの日か日本に行ってみたいと思ってきました。その機会が皮肉にも“合法的”な身分で、しかも北朝鮮ではなく日韓両国政府によって実現したのです。
入国手続きを終え、厳重な警戒の中で到着したのは東京から遠く離れた軽井沢の別荘でした。取材陣のものすごい取材競争から、日本で拉致問題が国民の大きな関心事になっていることを実感しました。
韓国人の拉致被害者や戦争捕虜が約1千人にもなる韓国の立場からみて、私を招いた日本政府がうらやましく感じられました。そして取材熱気に私は緊張し、気が重くもなったのです。
◇
軽井沢の別荘での最初の公式行事は、招請していただいた中井洽(ひろし)国家公安委員長・拉致問題担当相との面談で始まりました。彼からは拉致問題の全般的な現状について意見をうかがいました。
夕刻には田口八重子さんの兄・飯塚繁雄さんら家族と会い、昨年の釜山以来の再会を喜び合いました。翌日の昼食には息子の耕一郎さんに、なすび炒めと牛肉のプルコギを作ってあげました。私は彼に「お母さんが戻ってくると、もっと上手に作ってくださいますよ」と言いました。
本当に楽しいひと時でした。田口八重子さんもこのことを知ればとても喜ぶだろうと思いました。
2日目の夕刻には横田めぐみさんの家族と会いました。私にとっては歴史的な瞬間でした。
私が「めぐみさんが来なければならないのに、私が来てしまってすみません」と申し上げたところ、お母さんの早紀江さんは娘に対するように私を温かく迎えてくださいました。私は北朝鮮でめぐみさんに会った状況などをご両親に詳しく話しました。
早紀江さんは娘の子供のころの様子をいろいろ話され、「娘は数奇な運命をたどったと思っています。あなたが悲劇的な運命に耐え、けなげに生きて日本を訪問したように、娘も北朝鮮であらゆる苦難に耐え、しっかり生きて祖国に戻り自分の前に現れることを願っています。誰が何と言おうと娘は生きていると信じています」とそのつらい心情を語られました。
私は早紀江さんに「そうした奇跡が起きますようお祈りいたします」とお話ししました。
◇
次の日は場所を東京に移し、拉致被害者の家族たちと面談しました。すでに写真で知っていたため初めてという感じはしませんでした。拉致家族の写真を手にそれぞれ経緯を語られる方々に、私は期待に沿えるようなことをお話しできず申し訳ない思いでした。
多くの方々がお年を召しておられ、いっそうつらい思いでした。数十年もの長い間、やるせない気持ちで待ち続ける家族の苦痛を思い、涙が流れました。私は「北当局は死亡したというけれど、北のどこかで必ず生きています」と語り、皆さんに慰労と勇気を与えようと努めました。
日本政府がヘリコプター遊覧などあまりに私を厚遇しすぎではないか、という批判的な見方があったと聞いています。資格のない私への厚遇は心の負担になったし、本当に申し訳なく思っております。
◇
軽井沢からヘリコプターで東京に移動する際、上空から下を見ました。限りなく広がる緑の山野、海を抱いた美しい東京…。田口八重子さんや横田めぐみさんたちがあれほど見たがり、懐かしがっていた祖国の大地でした。彼女たちもいつかは飛行機で帰還し、あの山野や都市をきっと見下ろすことになるでしょう。
彼女たちを救出するため努力を続ける政府や家族、そしてその背後に、祖国の山河が変わらない姿で静かに彼女たちを待っているのだということが分かりました。だから彼女たちは決して寂しくはないのだと。
今回の日本政府、国民、拉致被害者家族の私に対するこの上ない歓迎には重ねて感謝申し上げます。とくに招請していただいた中井国家公安委員長には心から感謝いたします。
ただ私が一部で期待された“新しい情報”を提供できず失望させてしまったことは、心苦しい限りです。拉致被害者家族の心的苦痛が少しでもやわらぎ、拉致被害者が1日も早く帰ってこられることを切に望むだけです。
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